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2005.06.04

船ゆうれい(ふなゆうれい)

むかしのある海辺での話。毎年漁へ出てたくさんの人が死ぬその村では、お盆になると死者の霊を呼び戻す「むかえ火」を焚く慣わしがあった。また、彼ら霊たちが船ゆうれいとなって現れるため、お盆には漁をしてはいけないしきたりもあった。

しかしこの村の、気の荒い熊造という漁師。しきたりを守らずお盆に船を出そうとする。曰く「誰も他には船を出さないので、自分らの独占場だ」。村人たちが心配する中、船を出す熊造たち。

熊造の目論見どおり、沖に出た彼らには大量の魚が待っていた。だがしばらくすると空に暗雲が立ちこめ生暖かい風が。そして熊造らの目に、見知らぬ大きな船が映る。だがそれでも彼らは漁を止めなかった。

先の船が気になる熊造。ちょっと振り向くと、その船はもうすぐそばまで近づいていた。その船の姿は、まるで幽霊のよう。そう、船のゆうれいだったのだ。腰を抜かす熊造と漁師たち。

船ゆうれいからは次々と半透明の白い玉がはじき出され海に落ちていく。落ちた玉は熊造の船にとりつき、白い手を出し、叫ぶ。「ひしゃくをくれ、ひしゃくをくれ」。かの手たちはひしゃくで海水をすくって船に注ぎ込み、その船を沈めてしまうつもりなのだ。パニック状態の熊造たち。

一方、むかえ火をしていた村でも不思議なことが。むかえ火たちが意志を持ったかのように舞い上がり、たくさんの炎の固まりとなって沖へ飛んでいったのだ。向かう先は熊造の船。そして船に取り巻く船ゆうれいの白い玉らを遠巻きにすると、「海の亡者たちよ静まるが良い。我はお前らと同じ海で働き死した者。海での悪さは許されぬ」と語りかける。

そしてむかえ火の炎は白い玉を船ゆうれいに押し戻し、それを確認したかのように動いたあと、村に戻っていった。飛び去ったむかえ火が元に戻ってきたので、村人たちは安心する。

一方、むかえ火に「すくわれた」形となった熊造。あまりの恐怖から頭のネジが外れ、まともに漁が出来る身体ではなくなってしまったとのこと。


おしまい。

【補助解説】
瀬戸内地方の昔話。お盆のはじめに行われる、死者の霊魂を呼び戻す焚き火を「むかえ火」と呼び、逆に霊を送り出す火を「送り火」と呼んだ。また船幽霊とは一説には、この地域付近で命を落とした平家や源氏の武士たちの亡霊とも言われている。

【何を学ぶか】
「船ゆうれい」や「むかえ火」がそれぞれ、「悪さをして仲間を増やそうとする悪性の水没者の霊」「海で死んでからも村のことを気にかける霊」というのは推測できる。さて霊の存在の有無はともかくとして。この「船ゆうれい」の話が現在まで語り伝えられているということは、「お盆には漁をしてはならない」とのルールを強いるため、戒めの手法として用いられていたということ。

実際にはゆうれいが出るから云々ではなく、その地域ではお盆前後になると特に海が荒れるから、とか、年がら年中漁をして乱獲したのでは、水産資源が枯渇してしまうから、という意味を持つに違いない。

言葉上の表向きの理由はともかく、「昔から語り伝えられている戒め、教訓には、それなりの理由があり、真実を貫いていることが多い」。これは何も漁に限ったことではなく、投資の世界でも同じ。ネットでの取引が可能になり情報に敏感に反応する市場となっても、コンピューターによる計算取引が発達しても、結局は人間が売り買いの判断をすることに違いはない。人間心理を追求し、投資のスキルを上げる時、ヒントの多くを昔からの教訓に求められる。

また、熊造が他人を出し抜いて漁をし、大漁を得たことについては「他人が手がけない銘柄、相場で仕掛けると大きな利ざやを得ることがある」ことではある。同時に「関さんとしているには(他人が手がけない場には)それなりの理由がある。その場に手を出すからにはそれなりのリスクを覚悟しなければならない」という戒めにも結びつく。俗に言う、ハイリスク・ハイリターンという奴だ。

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